数十年ぶりに文学本を読んだのが「人生の花火」でした。
若いころなら1日で読破できたと思いますが、
この年では、1週間かかりました。
なかなかの長編で力作ですね。
久しぶりに読書をする機会になりました。
感謝します。
冨部さんと年齢が近いせいもあり、
ところどころに出てくる音楽関係の記述は
共感できるところが多かったです。
また、集成材という言葉がポンと出てきたところは、
さすが林産学科出身だということを思いました。
「花火の開いた一瞬をとらえる」、ということの本当の意味はわかりませんでした。
ビックバンのはじまり、宇宙の大元(人生とは何だろうか)を探求するということでしょうか?わかりません。
小林秀雄に興味がおありのようですね。
私も高校の時、同じ教科書でしょうか、「無常という事」を読んだ記憶あります。
私は、若いころ、小林秀雄の言ってみれば理科系的な緻密さよりも、
私が持っていないものを持つ、中原中也のほうに、抒情的な詩に惹かれました。
小林秀雄とは親交?(敵対)があったように思います。
「無常という事」で思い出しました。
今から20年ほど前の大学院の講義で、
アメニティ木材学という講義をしていました。
レポート課題に、木材のアメニティ(快適性)とは、どういうことだと思うか?
という題で出題したのですが、
学生の一人が、「無常という事」を掲げて、レポートを発表しました。
文庫本を私も買って読み返しました。
理解が難しかったんですが、
「快適な環境にいると、何か自然と思い出すことがある。思い出すことがあるとき、今いる、その環境は快適であるのではないか」と勝手に理解しました。
長くて済みませんでした。
百水
百水さん、 感想文1番手、ありがとうございました。 まさか百水さんに読んで頂けるとは思ってなかったので、大変うれしいです。
まあ、お互い木には長年付き合ってきたので、人並み以上に愛着はありますよね。 「花火が開いた一瞬をとらえる」
そこに本当の意味というようなものを込めたつもりはありませんでしたが、確かに見かけは星のビッグバンのように見えますね。
小林秀雄と中原中也、一人の女性をめぐるまさに因縁の関係ですが、その後は二人とも別の女性と結婚して、交流を続けました。もし機会がありましたら、小林秀雄の『中原中也の思い出』をお読みになってください。深い余韻の残る鎮魂歌です。
木材の快適性と『無常ということ』の関連性ですね。私は京都の一乗寺で生まれ育ちました。子どもの頃、比叡山に登って青葉の生い茂る木々の中にいると、過去とか現在とかの時間という感覚がなくなり、眩暈を感じる時がありました。のちに、『無常という事』を読んだ時、鮮やかにこの時の記憶が、そう、残欠のように浮かんできました。
これからも百水さんと私は木と付き合っていくことになりますが、また何かの機会にお会いできることを楽しみにしています。