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感想文13

 セミフィクション小説「人生の花火」の感想を家族目線で書いてみたいと思います。

 まず感じたことは金武武の物語というより金武武が歩んできた人生の大筋を主人公の葉山悠二さんが歩んだ場合はこういう考え方をするんだなぁという印象です。

 葉山悠二さんは少し皮肉屋さんなのですね。特に子供のころ。金武武は家族でさえ戸惑うほど純粋で素朴で素直な性格をしています。時に「少年の心を持った大人」という言い方をすることがありますが、金武の場合は今も「少年」です(苦笑)。それはそれで少々困りものですが。

 葉山悠二さんは物事や人に対するファーストコンタクトを少々ネガティブに受け止める方なのかな?という不思議な感覚になりました。そんなところも金武とは少し違う印象です。

 高校2年の花火との出会いは一瞬にして金武を虜にするものだったようです。出会いの瞬間頭に焼き付いた「いわゆる福田式と言われている花火の残像」、来る日も来る日も花火のことばかりを考え、今でいう「変態(マニアック)」になっていく状況。

 寝ても覚めても花火に思いを馳せ狂気とも言える執着は異常だったと金武本人は振り返ります。そんな狂気の中でもがき苦しんだ金武の花火と花火写真への情熱はいまだ衰えるどころかますます変態(マニアック)度を増しています。

 また青年期の学生時代に彩りを添え、その後も深く心に残る素敵な女性はもしかしたら著者冨部氏の想い出でしょうか。まさに二人の人生を織り込んだハイブリッド小説ならではの淡く切ない恋ですね。

 そして思いのほかスムーズに花火写真家として活動されている葉山悠二さんを羨ましく思いました。

 小説「人生の花火」は、病気との戦いと花火に対する情熱、花火の写真表現への苦悩に満ちた金武の半生を、葉山悠二さんが生き直してくれたおかげで、苦しみながらも爽やかに生きる青年の物語になっていると感じました。

 これからどんな人生が待ち受けているのか楽しみです。家族としては本人の想いのままに花火を追いかける人生を全うしてほしいと願っています。ここまで追いかけて来たのですから途中で止めることは家族が許しません。

 葉山悠二さんにも素敵な人生を送って欲しいと願います。



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冨部 久志という人物が花火写真家・金武 武とシンクロして、心地よい読後感の小説を書いて見せた。 飾らない文章だが主人公と作家の相性が見事に一致したとでもいえばいいのだろうか。作家、写真家ともに不器用な印象であることがこの小説を牽引して物語は進む。その初心の強さが読者を引き込んで行くのである。 小説にとりかかって17年の歳月がかかったとあったが、飲みやすくコクを含んだワインのようにほどよく熟成された

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