『人生の花火』、楽しく拝読致しました。幾度も挫折に遇ひつつも、花火を撮る写真家といふ道を見出してゆく悠二の生き様が、印象に残りました。
私のやうな平成生まれの人間の多くは、人生如何に失敗をせずに、効率的に目標に向かつて突き進むか、といふことばかりを無意識に考へてしまつてゐるやうに思ひます。一方で悠二の生き様は「スマート」ではありません。病ひや、後で思ひ返せば惜しくてたまらぬ恋人との別れなど、上手く行かなないことで溢れてゐます。現代ですと、これらの困難を「克服して」、「バネにして」成し遂げた云々が、良しとされさうですが、悠二の人生はさういふものでも無ささうです。悠二がぶつかつた困難は、悠二のその後の人生にまでずつと響き続けます。しかしそれこそが、悠二の人生を味はひ深いものにしてゐるのではないでせうか。 現代人の、困難を「乗り越へよう」とする思考は、ともすればそれら困難が恥づかしいものであり、人生に無かつたものにしてやらうといふ願望の表れであるのかもしれません。しかし冨部さんのお書きになつた『人生の花火』を読みますと、挫折も人生を彩る大切な一部なのだと、気がつかされる気が致します。
しよくさんじんさま
この度は大変味わい深い感想を頂き、誠に有難う御座いました。 困難を「克服して」、「バネにして」成し遂げた云々が、良しとされさうですが――確かにその通りですね。そこで求められているのは結果だという事でしょう。しかし、実際に大切なのは、そういう困難によって、自分の心を強くしていくこと、自分という人間をより磨き上げていくことではないでしょうか。結果はあくまでついて回るものだと思います。 しよくさんじんさんもこれから先、まだまだ多くの困難に見舞われることがあるかも知れませんが、堂々とこれを受けて立って、さらなるご活躍をされることを願っております。 またいつかお会いできることを楽しみにしております。