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感想文23

 貴重な著書を読ませていただきありがとうございました。

 感想が遅くなってすいません。一度読ませていただいてから何度か読み返しをさせていただいていました。主人公が私と年齢が近いこともあり、共感するところもありました。

 もっとも印象に残ったのは、喘息の発作の苦しさを表現した部分で、「長い夜」の発作を起こした時の様子や「森の中の学び舎」(その三)で、悠二が岡沢の発作の苦しみを想起している部分でした。これを読んで、死に至る苦しみに恐怖を感じました。

 この他、悠二が深見の死を知り、人生の価値や死の意味を考える部分が印象に残りました。悠二は、人が死ねばあとには何も残らないと言い、そこには無の世界しかないと考えますが、おそらく苦しい人生だからこそ、そのように思い至ったのではないかと考えます。

 その後も、彼の人生は、喘息やアレルギーで、発作に苦しみ、食べたいものも食べられず、白内障や下痢に苦しみ、苦難の連続であったと思います。また、身体的な苦痛だけでなく、写真家になってからですら、経済的にも苦しかった。

 しかし、このような境遇だからこそ、死亡した二人の障害者と自身の人生を置き換えて、 「目標や将来の夢は持ちながらも、一瞬一瞬を完全に燃焼していって、いつ死んでもいいような気持ちで日々を送るしかない」と、「あの花火のように、夜空にぱっと綺麗に咲いた後は、何の未練もなく再び夜空に消えていくつもりで生きていくしか・・・」という人生観が導かれたのではないかと思います。

 そして、彼は写真を撮るという一番好きな行為を通じ、花火の感動を人に伝え、世の中に広めていくという仕事によって、日々を完全に燃焼していこうとしたのかな、と思います。

自分の好きなこと・やりたいことを、今、一生懸命というか、完全燃焼というか、力の限りする、限界までする、という生き方は、どのような境遇の人に対しても、老若男女を問わず、希望や勇気を生み出すのではないかと思います。

 経済的に苦しい生活の人も、病人も、障害者であっても、自分の好きなことに向かって、今、力を尽くすことは、価値のある人生だと思います。

 以上のような、自己流の解釈で、本書を読ませていただきました。

 本書を読んで、私も、自分の人生について改めて考え直すことができ、満足にいく人生への道が開かれるような感じがしました。本書によって心安らかにしていただいたことを感謝いたします。               

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