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感想文8

 徳川家康の遺訓の一つに、「人の一生は重荷を追うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」というものがある。けだし至言であると個人的には思う。現代語でいえば、人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前だと思えば、不満は生じない、といったところであろうか。葉山悠二の人生は、まるでこの言葉を体現したものであるように感じた。

 この作品において、読む者を魅了するのは、生気溢れる花火の描写であると考える。

 “パーンという音がして、悠二は芝生の上に置いた手のひらに軽い衝撃を感じた。視線を少し上げると、会場から黄色い尾を伴った小さな火の玉が、目の前の薄闇を切り裂いて昇ってくのが見えた・・・すると、花火が開くのは、生命が誕生した瞬間だと思ったりもした。


 上記の言葉のような花火の描写を節々に登場させることで、まるで悠二の人生と花火がオーバーラップするような感覚を読み手に与えると感じた。私が思うに、悠二は《瞬間的なモノ》に興味を感じる傾向にある。《音楽》然り、《花火》然り、《写真》然り、一瞬の輝きにすべてを賭けるものに魅力を感じ、突き詰めようとする姿勢を作中から読み取れる。それには、療養所において、仲間の死を経験したことが根底にあると考えられる。即ち、人間はいつしか死を迎える為、永遠などといったものは存在しないが、一瞬の輝きを追い求めることによって、生きていることの価値を見出す事が出来るという思想を、悠二は抱いているのかもしれないと考える。そして、その一瞬の輝きを、まるで永遠であるかのように切り取る事が出来る《写真》というものに、悠二が命を賭して打ち込むようになったことは、もしかしたら必然だったのかもしれないと思う。

 作品の前半はまるでナルシソ・イエペスの『禁じられた遊び』が流れているような、重たい雰囲気である。しかし、高校生の下りからは、例えるならビートルズがBGMで流れているような、甘酸っぱい青春の記憶を感じ取る事ができた。沢山の魅力的な登場人物たちも、この小説に生気を与え、彩を添えているように感じる。序盤に比べて、中盤から終盤にかけて、文章が読みやすくなっていると感じた。まだまだ荒削りの文章であるように感じるが、ストレートな語り口による感情描写や、臨場感のある風景描写と、生気に満ちた会話がふんだんに取り入れられており、主人公の心理状態をありありと感じることが出来た。なかなかに分厚い作品であり、非常に読み応えのある小説である。今後の作品にも期待したい。

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