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東海道中膝栗毛・その3+α(59)

更新日:6月17日

      右の広重の絵にある、山を背景とした茅葺屋根の建物を模した店


 横殴りの雨が降った5月28日の夜、自宅まで歩く間にずぶ濡れになるのを避けるため、乗り換えの渋谷駅からタクシーを拾いました。思ったより待たずに乗れたので運が良かったとほくそえんでいたら、三車線の中央車線から左折しようとした際、うしろから来た車に追突され、左胸がドアにぶつかりました。一瞬息も苦しいほどの劇痛を感じましたが、その時は打撲傷程度に思っていました。むち打ち症状もなかったのですが、念のため救急車で病院に行き、レントゲン検査を行うと、何と肋骨が折れていました。

 サイレンを響かせながら、救急病院へと向かう救急車の内部。撮影しても何も言われませんでしたが、SNSでの掲載は大丈夫なのでしょうか?


 翌日の朝、さらにCT検査を行うと、合計四本が折れていることが判明しました。肋骨の骨折は自然治癒しかないという事で、痛み止めの薬とサポーターをもらい、午後はそのまま出社しました。問題は週末に予定されていた東海道五十三次の旅に参加するかどうかですが、その後、痛みは少しずつ和らいだため、思い切って参加を決めました。皆さんに余計な心配を掛けないために、基本的にはこのことは言わないでおこうと決めました。


 さて、今回の旅程は二日間で蒲原宿から掛川宿までの十二宿を踏破するという強行スケジュール。また、途中、公共の交通機関が使えないところも多いので、タクシーやマイクロバスを使っての移動が多くなりました、これには助けられました。

 まずは蒲原です。幸い一日目は天候に恵まれ、Tシャツ一枚でも汗ばむほどの陽気。広重の絵では雪深い山や民家の様子が描かれていますが、静岡のこの地で雪がここまで降ることはなく、想像で描いたと言われています。


      見づらいですが、石碑の手前に広重の浮世絵が見えています。


 次の由井宿では近くの広重美術館を訪問。広重は風景画だけでなく、こんなおちゃめな絵も描いていたのですね。

        地名を絵で表したもの。答えは下の写真です。

由井宿の絵は、薩埵(さった)峠を越えた先、富士と駿河湾が一望できる地点から書かれていますが、あいにく富士山は雲で見えませんでした。

 

江尻宿は今の清水港ですが、昔の帆船が今はヨットに置き替わっています。元絵と是非見比べて下さい。ちなみに、勤務先の会社で輸入している原木丸太は、世界の各地からこの清水港に運ばれてきます。          


 この日は静岡駅前のホテルに泊まりましたが、二次会は自重、部屋に辿り着くなり、倒れるようにして寝入ってしまいました。

 二日目、午後は雨予報。しかし、午前中は青空の元であちこちを回ることが出来ました。歩くだけなら骨折しているのを忘れられるくらいで、次から次へと出てくる名跡を満喫。途中に聳え立つ立派な木々の緑も目に眩しいものでした。


岡部宿の本陣公園を見下ろす大木。ケヤキに見えますが、自信はありません。

大慶寺の久遠の松。今から約760年前に日蓮聖人が植えた苗木が育ったものと言われている。


 午後からはやはり雨も降り出しましたが、マイクロバスでの移動だったので、雨雲レーダーを見ながら、臨機応変に立ち寄り場所の順番を変えたりして、殆ど濡れることもありませんでした。

嶋田宿のそばの大井川に掛かる蓬莱橋。約900メートルある、世界最長の木造歩道橋です。歩くと揺れ、所々朽ちて抜け落ちているところもありましたが、歩き心地は最高でした。


西行法師の歌を味わいながら、「夜泣き石」が祀られている場所に向かって登っていきます。


 そして、最後には淡い虹まで眺めることが出来ました。どれもこれも一人で計画を練り上げた大塚ツアーコンダクターのお陰です。次回もまた楽しみです。


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