すっかり新しくなった秦野支援学校(旧秦野養護学校)。また、以前はもっと多くの木々に囲まれていたと思われる。
先々週、一度はこの目で見たいと思っていた、『人生の花火』の主人公のモデルである金武武さんが中学校時代に一年間過ごした秦野支援学校(旧秦野養護学校)を訪問した。
……悠二は両親が座る前の座席の間から前のめりになって顔を覗かせ、風景を切り裂いて進んで行く車の行く末を追っていた。しばらく行くと、「秦野療養所」という看板が左手に見えた。車はそこで左折し、林の中の道をどんどん登って行った。鬱蒼とした林に囲まれていて、なにやら別世界に繋がるトンネルの中を走っているような感じだった。やがて坂を登り切ると、急に視界が開け、色とりどりの花が咲いている花壇が見え、その先に建物が姿を現した……
金武さんは初めて療養所を訪れた時の情景をこのように語ってくれたが、秦野駅からバスで向かう時に全く同じような光景に出くわし、五十年前にタイムスリップしたかのような眩暈を覚えた。
道路の両側に立っている木々が作り上げた緑のトンネル
緑のトンネルを抜けた先にある神奈川病院。かつて療養所がこの裏にあった。
秦野養護学校(現秦野支援学校)は、到着した病院の裏手にあるということで、そこまで歩いて行き、予め面談をお願いしていた松本副校長とお会いした。そして、金武さんが通っていた当時の会報誌を見せて頂いた。校舎も写っていたが、もちろん今とは違って、プレハブのような質素な建物だ。そして、当時は病弱な生徒のみだったのが、今は知的障害があったり、肢体不自由であったりする生徒も受け入れているという事で、教職員約100名、生徒約100名という体制になっているという事だった。予め話をしてあった『人生の花火』をお渡しすると、松本副校長は「かつてここで過ごした生徒が、花火写真家として活躍されているという事実に励まされます」とおっしった。
金武さんが通っていた当時の秦野養護学校の建物
そのあと外に出て、学校の周りを案内してもらった。現在、療養所はないが、かつてあった場所に行くと、なんと金武さんが話していた療養所と養護学校の間の横断歩道の残欠が、目の前に現れた。
……病棟を出ると、車二台がぎりぎりですれ違うことのできるアスファルト道路があって、ご丁寧にも横断歩道の白いペンキが塗ってある。先に歩いている小学校の低学年の児童は、傘を差しながらも教師から言われている通り手を上げて渡っているが、高学年にもなると、めったに車の通らない道路で手を上げるのは馬鹿馬鹿しくなって左右すら見ないでさっと渡って行く。悠二もかばんを腕の中に抱きかかえて横断歩道に飛び出すと、前にいた小学生の頭を撫でて追い越していった。そうしてすぐ目の前にある校門の中へと飛び込んだ。
手前は療養所があったと思われる場所で、向こう側は秦野支援学校
そう、今から五十年前、主人公の葉山悠二は毎朝この横断歩道を踏みしめて、療養所から学校に通ったのだった。いや、葉山悠二だけではなく、岡沢高志や宮川芳子も。
……別れたカップルはもう一組あった。なんと、岡沢と宮川のカップルだった。岡沢は、十二月の授業が終わると退院することが決まり、それがどうやら別れの引き金になったようだった。
「うるさいんだよ、『電話、毎日掛けてね』とかさ。どうせナースセンターの誰かが取り次ぐんだから、面倒臭いじゃん。所詮、無理があったんだよな。小六と中二が付き合うなんて」……
……しかし、岡沢は死んでしまった。岡沢にはもう二度と会えないのだ。そう思うと、それまで我慢していた涙が、急に溢れ出た。悠二は俯せになり、枕に顔をうずめた。激しい嗚咽が襲ってきたが、悠二は周りの子ども達にそれを聞かれまいとして、枕に顔を強く押し付けた。……岡沢にはどんなことをしても、もう二度と会えない。何か自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったような気分だった……
……いつしか自分は五十年前の葉山悠二になっていた。たった一年間だったけど、岡沢との友情を育み、ナースの鈴木さんに恋をし、石橋先生に勉強とギターを教わった。その岡沢はここで宮川と幼い恋を育み、そして、自宅でぜんそくの発作を起こしたあと、こちらの病院に運ばれ、そして死んでいったのだった。たった十四年しかこの世にいられなかった岡沢の人生に頭を巡らしていると、不覚にも涙が零れ落ちた。
歴史とはやはり思い出すことなのだ。何年何月にある国が、誰々が、何々をしたという事実だけではなく、人々がどのように考え、どのような思いで、どのように行動したか、その有様を、集中力と持続力を精一杯働かせ、思い出すことなのだ。そうすれば、過去の出来事とともに、過去の人々の心を生き生きと甦らすことができる。そのことが、過去の深い傷跡から人々がなかなか抜け出すことができない要因にもなっているのだが、それを克服するには単に蓋をするのではなく、開き直って自らの心を鍛錬するしかないだろう――などと言えるのは、性被害も身内の悲惨な死も戦争体験も経験したことがないからに違いないが。
帰りのバスの中でも緑のトンネルを走っている間はしばし感慨に耽っていたが、やがて、女子高生と思しき集団が乗り込んできて、我先にと甲高い声で喋り出すと、一気に現実へと引き戻され、この日の夕食のために何を買おうかと算段する自分がいた。
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