とある偶然(69)
- Hisashi Tomibe
- 5月3日
- 読了時間: 2分
更新日:8月2日

一九八六年二月二五日発行の本です。
久しぶりに新潮日本文学アルバムの『小林秀雄』を取り出してページを繰っていたら、小林秀雄の生家の紹介で何やら見覚えのある建物の写真が出てきました。

階段下の左にある白い大きな建物です。
生家の場所は女坂上あたりとあるので、ひょっとしたらと思い、昔の『ぴあ』を引っ張り出して見てみたら、何と同じ住所、即ち千代田区猿楽町二ー八-五でした。あまりの偶然に驚くとともに、どうして今まで気付かなかったのだろうと情けない思いもしました。

1977年6月号の「ぴあ」です。
『ぴあ』の思い出についてはブログの(34)に詳しく書きましたが、大学生の頃、なんとなく『ぴあ』のアルバイトを始めたのは、やはりそのころ熱心に読んでいた小林秀雄の磁力に引き寄せられてのものではなかったかと思わずにはいられません。
当時は主に学園祭特集などを取材して記事にしていましたが、たまに編集者から映画の感想文を書いてくれと頼まれ、それを載せてもらったことがありました。恥ずかしい文章ですが、掲載いたします。

同じ号に掲載された「アメリカン・グラフィティ」の感想文です。老眼鏡が必要ですね。
いずれにせよ、小林秀雄がこの場所に住んでいたのは今から百二十年前、そして私が『ぴあ』で働いていたのは五十年前、歳月は容赦なく過ぎていきますね。 追記: 先日、御茶ノ水で仕事があったついでに、4-50年振りでしょうか、この近辺に行って参りました。様々な新しいビルが立ち並んでいましたが、私が通っていた駿台予備校は外装こそ新しくなっているものの、中の構造は50年前とほぼ同じ。錦華公園や明治大学、男坂・女坂、山の上ホテルも当時のまま残っているところもあり、懐かしさの洪水でした。なお、小林秀雄の生家があったところには、ペンシル型マンションが建ちそびえていました。






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