四国、ふたたび(72)
- Hisashi Tomibe
- 3 日前
- 読了時間: 6分

今から53年前の高校二年生の秋、修学旅行で四国を巡った。記憶は朧気で、本州から四国へどう渡ったか、何泊の旅行だったか、まるで覚えていない。また訪れた場所も桂浜と栗林公園くらいがかすかに脳裏に残っているだけで、あとは毎晩、旅館で酒を飲みながら大騒ぎして、そのたびに担任の森脇先生が悲しい表情を浮かべて注意していたのを思い出す。今さら謝っても仕方がないが、ごめんなさい、である。
そんな四国の高知に大学時代の友人が十年近く前に東京での仕事を辞めて舞い戻っていて、ここ何年か一度遊びに来いと言われ続けていたのを、お盆の時期、京都に帰省するのに合わせてようやく訪れた。
まずは、高知へひとっ飛び。電車だと6時間半掛かるが、飛行機だとわずか80分。時は金なりを考えると、断然お得である。8時に乗って、9時半には高知空港の到着ロビーに出ていた。まず目に入ったのが「やなせたかし記念館」へ無料で行けるバスのチラシ。やなせたかしと言えば、まず思い出すのが、60年以上前にNHK「みんなのうた」でやっていた「手のひらを太陽に」の作詞者としてだ。しかし、その後は、「詩とメルヘン」は知ってはいながらほとんど読んでおらず、「アンパンマン」も見ていなかったが、現在放送中の「あんぱん」で少し興味を持ち始めていた。これは行くしかないと思い、バスに飛び乗った。そして、訪れた記念館は盛りだくさんの内容で素晴らしいの一言。彼の人生と作品、その周りの人々などなど、なぜもっと前に興味を持たなかったのだろうと、後悔すること頻りだった。





そのあとは急いで高知市内へ。実は、この日に予定されている「よさこい祭り」が本日のメインイベントだったが、会場に到着したのは午後3時で、午後1時の開始からすでに2時間が過ぎてしまっていた。それでも、主に若い人たちが見事に統一された激しい踊りを披露しながら、それでも笑顔を振りまいて行進していく姿を見ていると、日本の将来もまだまだ捨てたものではないという幻想に誘われた。
さて、今回私が宿泊したのはゲストハウスLULULU。ホテルの空きがなかなか見つからず、見つかったと思えば法外な値段だったので、夜は酒を飲んで寝るだけなら、寝るスペースがあればよいと思って決めたのだった。一旦そこに荷物を置いて、そのあと事前に予約しておいた「タケノミチ」という居酒屋に向かう。ゆったりとした店内のカウンター席でおいしい料理に舌鼓を打ちながら、坂本龍馬も愛飲したという司牡丹をぬる燗でしっとりと味わう。そのあとLULULUに戻って、気持ちよく寝ようと思ったら、一室4ベッドのどこかから猛烈ないびきが。これは長い夜になりそうだと観念し、枕元に用意してあった耳栓をして布団にも繰り込んだ。途中何度も夢を見る浅い眠りになったのは言うまでもない。

翌日は用意された朝食をさっと食べたあと、高知城へ。天守閣まで登れるというので簡単に考えていたが、いやいや、まず追手門から本丸に辿りつくまでに石段が158段、天守の中にも手すりを持たないと登れないような急な木造階段が40段。大汗を搔いたが、最上部に辿りつくと、涼風と高知市内が四方に眺められる絶景が待っていた。



午後は大学時代の友人と十年ぶりの再会を果たし、現代企業社という、名前とは正反対の趣のある喫茶店で昼食を取りながら、主に病気関係の話題に花が咲く。彼は引き続き学習塾経営をやっているが、若い人がどんどん減っていって大変なようである。食後、仁淀ブルーを見に行く。前日の雨で水流は滔々と流れ、迫力があったが、残念ながらその色はブルーではなくグリーンだった。そのあとは桂浜まで足を伸ばし、雄大な波しぶきを堪能。夕食の時間が迫っていたので、坂本竜馬像は見ないで高知市内に向かった。そして、H君が予約してくれた日本料理「錦和」でおいしい料理を堪能。中でもカツオの塩タタキは最高だった。最後に場所を移してカラオケで盛り上がったあと、LULULUに戻る。この夜もいびきには悩まされたが、慣れもあって昨夜よりはよく眠れた。


翌朝6時には起きて、高知から高松に向かう。途中の車窓から眺められる深い渓谷と緑には目を洗われる。高知駅に着くと、妻と義兄が出迎えてくれた。義兄はゲームクリエイターとして東京で活躍していたが、大病を患ったのち、去年から高松で療養と仕事を兼ねて移り住んでいた。彼の車の運転で、まずは丹下健三設計の香川府立体育館に向かう。同氏の設計による建物は四国にもいくつかあるが、船の体育館と呼ばれるこの建物は群を抜いて異様な存在感を放っている。ただ老朽化が進み、現在は使用されていない。今後については解体と保存との間で意見が分かれていて、その成り行きが注目されている。

さて、そのあとは屋島に車で登った。高さ約三百メートルほどの台地状の山で、周りは源平合戦で名高い古戦場地として有名であるが、展望台から眺められる瀬戸内の海と島々の様子はただただ穏やかな表情を浮かべている。この海のどこかで那須与一が船上の扇を射止め、
奥には平家の舟ばたをたたいて感じたり。陸には源氏の旗をたたいてどよめきけり。
という光景が今から840年前に見られたのだろう。また、それよりさらに400年以上前、鑑真がこの地を訪れたことにより始まる屋島寺と、逆にわずか3年前にできたばかりの交流拠点施設「やしまーる」も訪れた甲斐があった。
その後はおいしいうどんで締め、義兄の家で少し飼い猫と戯れたあと、京都に向かったのだった。



さて、記憶がほとんどなかった四国への修学旅行だったが、東京に戻ってから過去の資料を探してみると、なんと、「四国の旅」という当時の冊子と文集が見つかった。日程は四泊五日で、尾道から船で瀬戸田にわたり、奥道後で一泊、そのあとは、宇和島、竜串、足摺岬、桂浜、竜河洞、大歩危、栗林公園などを訪れている。また文集などを見ているうちに、朧気ながら、それまで全く忘れていた記憶が断片的に蘇ってきた。単に思い出としてではなく、そこから現在に繋がる何かを掬い上げることができれば、これからの人生を多少なりとも奥行きのあるものにして行けるだろうか。


動画(1本目)のラストシーンが秀逸でした。