現在我が家で飼っている雄猫の若(わか)。
現在、全国の各地で上映中の想田和弘監督の映画
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物心ついた頃から、猫と共に生きてきた。
京都の一乗寺の生家は、二階が一間だけあるほぼ平屋で、周りは庭に囲まれていた。そこは飼っていた猫と野良猫との発展場でもあった。毎年春になると、生まれた子猫が庭を走り回り、一緒になって遊んだものだ。その後、親は西陣、向日町と引越しを二度行ったが、その間、そして今でも猫は家族の一員である。
西陣で飼っていた雄猫のパピ。彼方に見えるのは比叡山。
向日町時代に両親が飼っていた雄猫のナハ。
現在、向日町で飼っている雌猫のメグは、名前を呼ばれると、なんと「メグ」と答える。
予備校時代から東京に移った私は、賃貸物件にずっと住んでいたため、残念ながら猫を飼うことはできなかったが、それでも、たまに入り口やベランダなどに訪れてきた猫に対しては、声を掛け、ミルクをやり、仲良くなろうと努めた。
1976年、武蔵境の下宿に住んでいた頃、時々遊びにやってきた大家さんの飼い猫。
やがて結婚し、二年後に賃貸から一軒家に移り住むと、ある日ガレージに迷い込んできた猫をそのまま飼った。しかし、家と外を往復していたその猫は、ある時いなくなり、写真を電信柱に貼って捜索すると、近所の方から車に轢かれて死んでいたので、市役所の人に処分してもらったという連絡が届いた。死体を見ずに済んだことは、せめてもの救いだと思うことにした。
雌猫の白李(しろり)。家の前の草むらでよく気持ちよさそうに寝ていた。
次の猫は雨の中、捨てられていたのを拾って来たのだが、もともと病弱であり、数年で死んでしまった。それでも、元気なうちは精一杯生きてくれた。
雌猫のミヤコ。ちょっと変わった顔だった。
そのあと、ネットで里親募集を見て、一挙に姉妹三匹を飼うことにした。この猫たちとの睦まじい生活は十五年以上続いた。顔にも個性があるが、性格はそれ以上に個性があった。長く慣れ親しんだ分、一匹、また一匹と死んでいくのを見るのは辛かった。
雌猫のはな(右上)は怖がりな性格で、嫁さん派。うり(左上)は、ボス的存在で、怖いものなし。ひめ(真ん中)はビジュアルが良く、私派。三匹合わせると、花売姫となる。
それでも、また新たに雄猫を飼い始めて四年になる(表紙の猫)。今までの雌猫と違って、大変なやんちゃ。遊んでいると、爪で引っかかれたり、嚙まれたりで、生傷が絶えな
い。さて、私も若もあと十年くらいは生きることになるとして、どちらが先にあの世からのお迎えが来るだろうか。。
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そんな猫好きの私であるから、先日、「猫の本棚」の樋口さんより、想田和弘監督が出された「猫様」という本のサイン会をやるという告知があったので、迷わず行ってみることにした。
以前、映画化された大岡昇平原作の「野火」を見に行った際、トークイベントがあり、塚本晋也監督の聞き手になっていたのが想田和弘さんだった。その後、自ら監督された「牡蠣工場」などでその名を目にすることが多々あり、興味を持っていた。そして、ネットで調べてみたところ、大学では島薗進先生に師事したとの記載があった。島薗進先生は相方が上智大学での講座をネットで聴いていて、私もその深い内容と年を感じさせない話し方には好感を持っていた。さらに、想田監督は現在、ニューヨークから岡山県の瀬戸内市に移り住んでいて、私も父の生まれ故郷が岡山県の新庄村なので、より親近感を覚えた。そんなことあもあって、「猫の本棚」でのサイン会においては気安く話をし、『人生の花火』を送る約束までしてしまった。
猫への愛情に満ち溢れた写真と観察眼鋭い文章からなる、想田監督サイン入りの「猫様」を手にして、思わず目を細める私。
それから数日後、想田監督最新の映画、「五香宮の猫」を見に行った。こちらは猫が主人公と思いきや、やはり、その猫に関わる地元の人たちが大きくクローズアップされていて、さらに瀬戸内海の自然が季節の移り変わりとともに画面に彩りを与え、台本もナレーションもない記録映画だが、恐らくは膨大な映像の中から選りすぐった場面が、演出がないにもかかわらず、珠玉のドラマになっているという感想を持った。そして、映画のエンドロールには驚きがあった。興味のある方は、下記のサイトの劇場情報をご確認の上、是非ご覧下さい。
それにしても、雨風に打たれることもなく、食べ物にも不自由していない我が家の猫に、この映画の猫のように食う事で精一杯の猫が大勢いるという事を教えてやりたいものである。
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