(高速)東海道中膝栗毛・その5+α(74)
- Hisashi Tomibe
- 20 時間前
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更新日:16 分前

桑名駅構内の通路に描かれていたイラスト。列車が、花火が、飛び出していました。
関東に住む、1974年洛北高校卒の同窓生を中心とした東海道五十三次の旅、今回は京都からも二名の参加があり、総勢二十名となりました。
集合場所は名古屋駅でしたが、その前に、以前から気になっていた神社が近くにあるというので、団体行動の前に寄って来ました。
名鉄桜駅で降りて、小雨の降る中、五分ほど歩くと、鎮守の森が見えてきました。さらに先を行くと、ありました。富部神社。

広い境内は誰もおらず、参拝にも力が入ります。ここまで生きて来られたことのお礼と、これからの余生のご加護、そして二日間の好天と旅の無事、付け足しのようですが世界平和をお祈りしました。

ところで、この富部神社は1603年に作られたそうですが、ネットで調べても、どうも名前の由来がよくわかりません。しかも、読みは「とみべ」ではなく「とべ」で、富はワ冠ではなくウ冠、私の苗字とは似て非なるものです。私の祖先と富部神社との関りはないようです。それでも、縋る気持ちでお守りとお札を買って、ご利益を願うことにしました。

そのあとは名古屋駅に戻って、約一年ぶりにメンバーの皆さんと再会しましたが、当たり前のように皆さん変わりなく元気な様子で、そのまま最初の鳴海宿に向かいました。
東海道の名残のある古い町並みのいくつかは、有松絞りの品物を販売していて、気晴らしにハンカチを一つ買いました。


その次は宮宿。有名な熱田神宮のあるところで、ここでも富部神社と同じお祈りを唱えてきました。

ヒノキでしょうか、立派な鳥居です。

大楠とあります。高さ20メートル、樹齢1000年。

本殿付近は人が多くてどうしても顔が写ってしまうので、こちらを掲載します。恐らく 出来立てのほやほやで、ヒノキの芳香があたりに漂っていました。
そのあとは海の見える桒名宿へ。ここでは長良川沿いを少し歩きましたが、小雨が降りしきり、翌日はさらに雨が強くなり、私の祈りは残念ながら通じませんでした。
この日は、そのあと四日市駅前に向かい、コンフォートホテルに宿泊。実はホテルプラトンを予約していたのですが、9月16日の記録的な大雨で電気設備が冠水して、部屋のエアコンが効かなくなっているという事で変更になったのです。大々的に報道された地下駐車場の車の水没の復旧作業がまだ続いていました。

分かりにくいですが、この下が水没した駐車場で、長期戦になるため、工事現場事務所が道路の真ん中に設営されています。

駅前には「花火」という粋な居酒屋もありました。
翌朝、カーテンを開けると目に飛び込んできたのは、四日市コンビナート。中学の社会の教科書に公害問題として取り上げられていました。街と隣り合わせにあるんですね。モクモクと上がっている白い煙は、今はもう毒気を抜かれていることでしょう。

地平線付近には煙突とタンクがずらっと並んでいます。
さて、今日一日はマイクロバスを借りての移動。昨日と違って、10か所の宿場町を回るので、分刻みのスケジュールです。
まずは四日市宿。三重川の河川敷でささっと写真を撮ると、石薬師寺宿へ。これは奈良時代の初期に開山された由緒ある寺で、なるほど、境内の至る所に立派な石が見られました。

四日市宿近くでは、より近くに煙突が見えました。

歌人の佐々木信綱は鈴鹿市の出身で、記念館もあります。

百度石の上には優しい顔をしたお地蔵さん。その上にはトンボが。
。

立派な石の影で咲いている曼殊沙華。

きれいに剪定された五葉松とソテツと庭石。
次の庄野宿は、雨の降りしきる丘の斜面を旅人が歩いているのが印象的な絵で、はっきりとしない場所を特定するのに、ネットで空中写真を見て当たりをつけ、さらにストリートビューで竹藪らしいものを確認したという、いつもながら企画のOさんのきめの細かい探求には頭が下がります。


Oさんによる、8ページにもなる旅の栞のごく一部の記述。
さらに亀山宿では僅かに残っている亀山城の多聞櫓を背景に写真を撮ると、東海道の街並みがしっかりと残っている關宿へ。ここは時間を多めの50分取っていましたが、最初の玉屋歴史資料館でガイドさんが張り切って説明と案内をされたおかげで、残り時間が半分近くになり、あとはばたばたと見て回りました。

玉屋の二階の座敷。食べて寝ることは人類永劫の営み。

当時のスイートルームには欄間と掛け軸と中庭が付いていました。
さらに坂之下宿を経て、圡山宿へ。この頃にはかなり雨が降り頻り、広重の絵さながらの光景になりました。


坂上田村麻呂が祀られている田村神社。平安時代の初期に創建されました。
次の水口宿では雨も少し小降りになりましたが、なんとそのあとの石部宿とともに、撮影場所と目していたモ二ュメントが消失していました。まあ、代替場所を見つけて事なきを得ましたが。
最後の草津宿では元茶屋があったところにある瓢箪の店の前で撮影。店は閉まっていましたが、店内は多数瓢箪がぶら下がっていました。写真を撮影しましたが、許可を取っていないので、割愛させて頂きます。詳しくはこちらをどうぞ。
そうして、マイクロバスは南草津駅に向かい、そこで解散。これだけ様々な場所を巡ったにもかかわらず、Oさんの計画通りの時間で旅を終えました。

勢の國交通の運転手、大東さん。大変お世話になりました。
なお、交通安全、皆さんの健康については何ら問題がなく、富部神社のお守りのご加護があったという事にしておきましょう。
さて、次回は来年三月、京都三条大橋まで辿り着いたあと、打ち上げ。それまでは何とか生き延びなくては。
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