「ぴあ」の思い出(34)



 昨日、「猫の本棚」の店主である樋口尚文さんのTWEETで『ハヤシくん 団塊のぴあニスト』という本が紹介されているのを見つけた。これは是非とも買わなくてはと思い、週末の雨で幸い多少暑さのゆるんだ中、神保町の「猫の本棚」に向かった。そして、本を購入しながら「ぴあ」でアルバイトをしていた頃の話をしていると、何と樋口さんもほぼ同じ頃に林和雄編集長(当時)と会っていたという事が分かった。すぐにでも本を読んでみたい衝動に駆られていたので、近くでどこか良い喫茶店はないかと尋ねたら、樋口さん、オーナーの水野久美さんともども行ったことはないけれど、コインランドリーの中の二階に面白そうなところがあると言われ、そこに行ってみることにした。

 1分も掛からずに到着したそこは古びた二階建てで、恐る恐る中に入って狭い階段を上っていくと、意外や意外、落ち着いた雰囲気の古民家風カフェだった。コーヒーの種類も選ぶことができ、濃いめのものを注文すると、タモの無垢テーブルの上に本を置き、その中の世界に没頭した。

     「オトナリ珈琲」という名のお店です。コーヒーもおいしかったです。


 45年前、大学2年生だった私は、映画好きが昂じて「ぴあ」でのアルバイトを始めた。猿楽町にあったそのオフィスは、以前通っていた予備校の手前にある女坂という狭い石段を降りて行った所にあった。さて、「ぴあ」でどんな仕事をやっていたかというと、主に大学生の四人組で学園祭特集の記事を書いていた。

 メールもファックスもない時代、通信手段と言えば手紙や電話のみで、学園祭実行委員会のようなところから送られてきた情報を、見開きや、時には3-4ページの記事にまとめていたのである。社長だった矢内さんも当時はまだ二十代、周りは若い人ばかりで自然と仲良くなり、今でも友達付き合いをしている人間もいる。ただ、仕事はハードで、特に発刊前には帰りが深夜になる事もあった。そんな中でも、事務所の中は誰かが持ってきたレコードの音楽が次から次へと流れ、楽しい雰囲気の中で仕事をする事ができた。特に、思い出深いのは東映の撮影所を借り切って、12月の2日間、ぶっ通しで行われた「ぴあ展」。ネットで見付けたこのポスター、懐かしい。

 「ぴあ展」では東映撮影所内のいくつかの会場で映画上映や音楽のコンサートなどを1万3千人の前で披露した。その準備が大変で、前日の深夜、当時私が住んでいた武蔵境の下宿に4人ほど泊まり込み、まだ暗い中、会場に向かったことを覚えている。内容的には素晴らしい催しだったと思うが、残念ながら、人が集まり過ぎて入れ切れない映画などが出てしまい、最後のフィナーレでは、不満に思った観客から卵や食べ物などが投げつけられるという残念な出来事があった。採算面でも散々だったらしいが、逆にこれを糧にして、「ぴあ」は月間から隔週刊、さらには週刊となって1990年には年間1,440万部を誇る発行部数となり、またPFF(ぴあフィルムフェスティバル)を通じて、石井總互、森田芳光、犬童一心を始め、中には将来名監督となる、数えきれないほどの新人監督の発掘を行ってきた。私は1年ほどでバイトを止めてしまったが、そのあと大島渚や寺山修司も出入りするようになったという事が書いてあり、今更ながら、もう少し勤めておけばよかったと一瞬、後悔したが、でもそうすれば、今の人生は歩んでいなかったことになり、バカボンのパパよろしく、「これでいいのだ」と納得することにした。

 それと、当時、我々大学生4人組を仕切っていた「ぴあ」創業メンバーの一人である西村重宏さん、大変気安い方で、その頃、同人誌に書いていた私の小説を是非とも読んでみたいと言われたのでお渡ししたが、その評価はあまり芳しくなかった。その西村さん、本の中では脳梗塞を患っておられて、2019年にお亡くなりになられたとの記載があった。同人誌の小説より多少はいいものが書けましたと、できればご報告差し上げたかった。合掌。

 『ハヤシくん 団塊のぴあニスト』、「ぴあ」が青春の一部だったという人にはお勧めです。

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