古希を迎えて(70)
- Hisashi Tomibe
- 5月8日
- 読了時間: 4分
更新日:5月23日

還暦を迎えた十年前、まだまだ人生は、そして様々な可能性は残っていると感じていましたが、古希を迎えた今、残りの人生も秒読み段階に入ったという感が強い今日この頃です。
それにしても、間一髪で死を免れた交通事故や、四度にわたる開腹手術や、百回を超える飛行機の搭乗や、それ以上の意識を失う酩酊を経験してきて、ここまで生き永らえてこられたことについては、家族や友人知人の皆様方に対する感謝の念しかありません。
そんな僥倖を自ら祝うべく、先週は妻とともに東北旅行に行ってきました。
その前に、もう一人、感謝の念を伝えるべき人物の所に行って参りました。高校生の時に「無常という事」を読んで以来その世界に没頭するようになり、今でも元書籍担当編集者であった池田雅延氏を通じてその神髄を学び続けている小林秀雄です。鎌倉の東慶寺にあるそのお墓の前で手を合わせ、しばし思うところを語らせて頂きました。質素でありながら、実に味わい深い趣を湛えるこのお墓は鎌倉時代初期の五輪塔で、小林氏が京都の骨董店で買い求め、鎌倉の山の上の家の庭に置いてあったものです。まさに小林氏の思想や美意識を体現している墓石と言えるでしょう。

小林秀雄氏の墓。時折鶯の鳴き声がどこからか聞こえていました。
さて、自分のお墓はどうするか。……いやいや、その前にもう少しやらなければならないことがいくつかあります。
ところで、どうして東北旅行なのかというと、誕生日であるその日、花火写真家の金武武さん同行で大曲の花火大会を見る、そして花火写真を撮るツアーを見つけたからです。これは何が何でも行くしかない、行って打ち上る花火を仰ぎ見ながら、七十歳まで生きてきたこれまでの人生を祝うしかないと思いました。
当日は不安定な天気で、花火が始まる前から雨が降ったり止んだり。空が暗くなったり明るくなったりするたびに一喜一憂しました。会場に着くとなんとか雨は止み、やがてアナウンスと共に次々と頭上で花火が炸裂していきました。事前にデジカメの設定を金武さんにしてもらっていたので、あとはシャッターを押すだけ。それでも初めての経験で多くはうまくいきませんでした。その中でも多少ましな写真をアップします。

途中、また雨が三十分ほど降り、その間は花火の鑑賞に徹しました。競技会も兼ねた新しい花火も多く打ちあがり、その美しさと斬新さを堪能しました。
さて翌日は何といっても角館の桜です。バスを降りると、桧木内川の土手には延々とほぼ満開の桜並木が。天気も良くなり、河川敷や武家屋敷街を歩いて、しばし様々な桜に見惚れました。



さらにバスで移動して、ミズバショウとカタクリの花が咲き誇る刺巻湿原を散策したあと、ツアーは盛岡駅で終了し、我々はレンタカーを借りて、松川温泉の宿へ。そして、この日に一万五千歩いた疲れを白い湯で癒し、早い時間に眠りに就きました。


お世話になった金武武さんとともに
翌日、まずは為内の一本桜を見に行きました。運転中は雪を抱いた岩手山がどこへ行っても見えていて、その雄大さに見惚れていました。

次に小岩井農場の一本桜を見に行こうとしましたが、途中、桜並木の先に岩手山が見える絶景スポットがあり、思わず車を止めてパチリ。

さらに近くの焼け走りと呼ばれる奇観の地を一時間掛けて歩き回りました。これは幅1.5km・長さ約4kmにわたって広がる溶岩流で、江戸時代の噴火で流れ出したマグマが冷えて固まったものとのこと。一応遊歩道みたいなものがありましたが、岩だらけでその歩きにくいこと。一キロほどの道のりに約四十分は掛かりました。

手前にあるのが溶岩が冷えて固まったものです。

山から吹き降ろす強い風のせいか、傾いて育った松の木。
その後、広大な小岩井農場で昼食を取りましたが、戦前はセントライトなど、一流名馬が生まれた牧場であることを、恥ずかしながら初めて知りました。

そのあとは、風光舎という林の中にある店でおいしいコーヒーを飲んで眠気を覚まし、盛岡に戻って車を返すと、宮沢賢治の絵本を出版したことで知られる光原社に寄ってから帰路に就きました。


という訳で、盛り沢山の三日間でした。ちなみに、5月11日(日)はビッグサイトで行われる文学フリマに性懲りもなく出店します。 この次は喜寿を目指し、さらに文学フリマの最高齢出店者と言われるまで頑張ります。
いいご旅行をされましたね 大曲の花火の日は雨で大変でした 私は翌日予定がありましたので強行軍でその日に帰京しましたが、花火は存分に楽しめたので行って良かったと思います 撮られたお写真はどれも素敵ですね 花火写真も星の繊細さとトラ打ちの迫力が伝わってきます またお会い出来たらうれしいです