(高速)東海道中膝栗毛・終章+α(79)
- Hisashi Tomibe

- 1 時間前
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安藤広重が描いた東海道五十三次の宿場町を、日本橋から始めて三条大橋まで漏れなく巡り、最後に母校である京都の洛北高校に凱旋しようという同窓生の壮大な計画が、約二年半の歳月を経たあと、遂に最後の日を迎えることになりました。
その前日、古希を迎える同窓生の記念祝賀会がありました。近年の物故者や、激しさを増す中東での戦争などの話題も出る中、この世に生を受けてからの七十年間、大震災やパンデミックなどの危機を何とか無事に潜り抜けてきた同志としての連帯感を味わったのは、私だけではないと思います。五十年以上会っていない人もいましたが、すぐに当時の思い出話に花が咲き、それまでの時空の隔たりは雲散霧消、貴重なひと時を過ごせました(翌週には古希を祝う修学院中学校の同窓会もあり、続けて出席しましたが、二次会のカラオケも含めて、これも大変楽しく有意義な会でした)。

さて、その翌日。まずは草津宿から。草津には母方の祖父や叔父が住んでいたことがあり、大変馴染み深いところです。祖父はかなり昔に、叔父も昨年九十五歳でこの世を去ってしまいましたが、従妹の娘と息子がしっかりと成長したので、この先が楽しみです。
その親せきの家がある北口方面ではなく、南口を出ると、駅前には宿場町としての匂いが満ちていました。

まずは草津宿本陣跡、ついで草津宿交流館へ。両者は旧東海道に面していて、そのせいか通りにはマンションでも入り口のところに瓦屋根があったりして、街道の雰囲気を醸し出しています。途中、東海道と中仙道とが交差するところもあり、当時は大変賑やかだったことが偲ばれます。



草津宿の次は浜大津に向かい、ここで休憩。浜大津と言えば、子供の頃、家族で遊びに行った記憶があります。お目当ては琵琶湖を臨むレジャーセンター。海水浴場ならぬ湖水浴場もあったような。現在は浜大津アーカスという大きな施設になっていて、ROUND1の馬鹿でかい建物が目を引きます。

ここで軽食を取ったあとは京阪電車に乗って京阪大谷駅で降り、大津宿と思しき所で集合写真を撮ると、とんぼ返りでまた駅に戻り、京都方面へ。とにかく分刻みの行動で、気が抜けません。

滋賀と京都の間には山があるので、電車は急勾配を登って行ったかと思うと、今度は、どんどん下って行って、最終的にはトンネルの中から東西線の地下鉄へと入っていきます。昔は京阪三条まで路面電車だったのですよね。
三条駅を降りて地上に出ると、すぐに三条大橋が見えてきました。盆と正月、京都に帰省した時には必ず一度は通る見慣れた橋ですが、この日に眺めた橋は、五十三次の宿場町を巡りに巡って、やっと京都に辿りついた旅人を労わってくれる、まるで慈母のような温かい存在に思えました。

とそんな感慨もすぐに切り上げて、今度は母校の洛北高校に向かいました。下賀茂神社を過ぎてしばらく歩くと、そこは懐かしさの洪水。

当時のパチンコ屋や雀荘、レコード店や書店はなくなっていましたが、道々の佇まいは昔のまま。当時もあった交差点のケーキ屋さんは規模も大きくなって大繁盛の様子。

そして、何と五十年以上前にお世話になったタミヤ模型店は、当時と変わらず今も健在でした。

さて、噂には聞いていましたが、母校は中高一貫校となり、真新しい建物には昔の面影はありませんでした。

それでも、卒業写真をその前で撮ったクスノキは、さらにその幹や枝を伸ばしていて、我々を優しく包み込んでくれました。今から五十二年前、確かに私は同じ場所に立っていました。それから東京、茨城、マイアミ、東京、千葉、再び東京と渡り歩いて、一つ間違えば命を落としかねなかった出来事にも遭遇しながら、何とかこの場所に戻ってきたのだと思うと、不思議な気持ちに襲われました。


最後は北白川の東洋亭で祝賀会。順番待ちの人々が店の外で並んでいましたが、ごった返す一階席を尻目に、数か月前から予約を入れてあった二階のゆったりとした個室でシャンパンを開けて乾杯。ここまで一人で旅程を練り、それを実行に移してくれたOさんには感謝の念しかありません。

しかしながら、これで終わりではなく、我々の旅はまだまだ続きそうです。弱音を吐きそうになっている膝にはまだまだ頑張ってもらうしかありません。
なお、ちょうどこの頃、近いうちに古今集の本歌取りによる歌会が開かれることになっていたので、次のような歌を詠んでみました。
古希なれど 春の都に 青冴えて 桜匂へば 恋も生まるや
本歌
56 見わたせば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の 錦なりける
素性法師



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