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エピソード2(6)

更新日:2022年3月18日

 


 まだまだある削除したエピソード、出し惜しみしないで掲載していきます。これは第二章の『長い夜』にあった一節です。


 のちに悠二が高校生になった頃、一度母の日記を盗み見た事があった。

 その日は、たまたま家の中に誰もおらず、悠二が学校から早く帰ってきたときのことだった。自室で音楽を聞いていると、ドアのチャイムが鳴ったのが聞こえ、行ってみると、新聞の集金だと告げられた。慌ててあちこち箪笥の引き出しを開けて金を探したが、その時、母が夜、時折何か書いていた一冊のノートが目に入った。金は結局見つからず、また来てもらうよう頼んだあと、悠二はそのノートを取り出した。シンプルな大学ノートで、長年経って黄ばみがかってきているその表紙には、『闘病記Ⅱ』と墨で書いてあった。僅かにあった後ろめたい気持ちを捨てて、悠二はぱらぱらと中を見てみた。だいたいは、喘息の発作が起こった状況を簡潔に書いたものだったが、中には数ページ渡る記述があり、その中の一つに悠二の目は釘付けになった。


 『一月十二日(その前の文章から、悠二が小学校四年の時であることが分かっている)

 今日は、今年一番の冷え込みだった。朝早くゴミを出しに行った時、道路脇の水溜りの表面に、今年初めてうっすらと氷が張っているのを見付けた時、不吉な予感がした。毎年寒い時期になると、悠二が風邪を引かないよう気を付けなくてはならない。それが喘息の発作を起こす引き金になるかもしれないから。冬の時期は、この薄氷の上を恐る恐る歩くようなものだと思った時、それに足を乗せなくとも、ぴりぴりとその薄氷が割れる感覚が体の中をよぎった。何か儚いものを壊したような嫌な感覚だった。それがその日まさか現実の出来事となるとは・・・。

 その日の午後二時過ぎに学校の先生から電話があり、悠二が気分が悪いので、早退したいと言っているとのこと。慌てて学校に向かい、保健室に入ると、悠二は簡易ベッドの上に横たわり、天井を見ていた。額に手を当てたが、別に熱はなく、ただ、給食を食べたあとに気分が悪くなって吐いたという。一人で歩けると言うので、先生にお礼を言って、手を引いて連れて帰ることにした。

 学校を出てから、何を食べたか聞くと、八宝菜のようなものだと言う。海老と豚肉を一口ずつ食べたあと、気分が悪くなったらしい。そして、ほとんど食べ物が胃の中に残っていないのか、おなかが空いた、何か食べたいと言って駄々をこねる。気分が悪いと言うのにどうかと思ったが、別に熱もなく、元気な証拠かと思い、たまたま見付けた商店街のパン屋さんの中に入った。ガラス戸の中の卵サンドを指差して、これがいいと言うので、それを買ってやると、余程おなかが空いていたのか、店を出る前に袋を開けて食べ始めた。歩きながら半分ほど食べると、もういい、おいしくないと言って私に残りを渡した。そして、口の周りをやたらと掻くので、見ると、小さな腫れのようなものができている。不安な気持ちを引きずったまま、家に帰ると、すぐにうがいをさせて、口の周りも念入りに洗わせた。腫れは少し引いたように見えたが、三十分もすると、喉が乾いたと不機嫌そうに言い始めた。冷蔵庫の中を開け、オレンジジュースを飲ませると、しばらくおとなしくして横になっていた。そのあと、今度はトイレに行きたいというので、連れて行き、「出るの?」と外から聞いてみたが、「出ない」と言い、水を流す音が聞こえたかと思うと、中でげえげえ言う声が聞こえた。戸を開けると、便器の中や縁に吐いた物が掛かっているのが見えた。口元を見ると、黄色い粘液を垂らしている。卵が当たったのかと思い、背中を撫でながら、「大丈夫?」と声を掛ける。悠二がさらに吐こうとして喉を唸らせていると、それが次第に咳に変わり、ゼイゼイ、ヒューヒュー言い始める。顔を見ると、赤っぽく、白目まで赤くなっている。おでこに手を当てると熱まで持っている。また、喘息の発作が起こったのだと思い、慌てて、手を引いて、近所の坂牧医院に連れて行った。

 坂牧医院は、ちょうど診療時間内だったが、風邪を引いている子供が多いのか混んでいた。いらいらしながら順番を待つ。いつの間にか手足も赤く腫れあがっていて、痒いのか、しきりに掻くので、血が滲んでいる所もある。爪を短く切っておけばよかったと後悔する。なかなか順番が来ないので、受付の看護婦に状況を言うと、しばらくして名前が呼ばれた。坂牧先生は、悠二の体の様子を診たあと、すぐに、いつもの薬を飲ませた。そして、水分摂取を勧められ、しばらく、待合室でじっとしているように言われる。待合室では、看護婦が水の入ったコップと冷たい水を含ませたタオルを持ってきてくれたので、顔や手足を冷やしながら、ゆっくりと水を飲ませる。椅子に凭れている間も、悠二はゼイゼイ、ヒューヒュー言い続けたが、来た時はかなり荒々しかった呼吸も、時間が経つにつれ次第に収まってきた。やがて、もう一度名前を呼ばれたので、悠二を連れて行って診てもらうと、発作も収まり、腫れも少しは引いてきたので帰っていいと言われた。そして、今後、卵は食べさせない方がいいとのアドバイスを受けた。

 今、夜中の十一時で、悠二は一応静かに寝ている。しかし、平らに寝かすと、息苦しいのか、寝返りを打ち通しなので、いつものように、少し上体を起こしたまま寝かせている。それにしても、卵が駄目なんて、悠二も可哀想なことになってしまった。確かに、卵が古かっただけなら、下痢するか、吐くかするだけだったはずで、やはり、先生の言うように、卵に対するアレルギーというやつが悠二の体質としてあるのだろうか。だとするなら、卵だけでなく、他にも悠二の体にとって悪いものがあるのではないか。でも、栄養は摂らなきゃいけないし・・・。とにかく日記には、何をどれくらい食べたか、できるだけ正確に書き残しておこう。何に対してアレルギーがあるのか、あとで分かるように。

 それはそうと、耀子が家事を手伝ってくれて、ほんとに助かる。今日も、慌ててお医者さんのところに行ったので、何も書き置きしなかったのに、家に帰ったら誰もいずに真っ暗だったから、たぶん医者の所だと思って、ご飯を炊いておいたと言う。あの子はもう放っておいても、大丈夫だろう。今までも十分放っておいたけど、よく、ひねくれないで育ってくれたものだ。あと、心配なのは悠二だけ。何とか生まれてきてよかったと思えるようになって欲しい。

 そうそう、明日こそ〇〇寺に行き、叔母が言っていた無病息災のお札をもらって来よう。あそこの娘も長年喘息を患っていたのに、そのお札をもらうようになってから、良くなったと言う。偶然だとしても、試してみるだけの価値があるのでは。とにかく、悠二が良くなる可能性のあることは、何でも試してみる必要がある・・・』


 読んだことを気付かれないようにするため、細心の注意を払って日記を箪笥の中の元の位置に納めながら、悠二は今まで数限りなくあった喘息の発作が起こった日々の一コマを思い出していた。こんなに苦しい時間が続くなら、いっそ死んでしまいたいと投げやりに思うようになった、物心が付き始めた頃だ。そう、『自殺』という言葉の意味を理解できるようになったと同時に、『自殺』に憧れ始めたのだった。吐き気、熱、痒み、そして呼吸困難といった苦しみが同時に襲ってくる数時間、このまま死ねたらどんなに楽だろうと何度思ったことか。しかし、ここまで生き延びて来れたのは、やはり母の手厚い看護と励ましがあったからだと日記を読んで悠二は改めて思い、母に感謝した。そして、悠二は、一時期、母が病に効くと言われるお寺や神社のお札をもらってきては、それを飲んでいた事を思い出した。一回では飲めないので、お札を一字ごとに切り刻み、祈りを込めて少しずつ飲んでいたのだった。幼い時に喘息で苦しんでいた頃は、それと戦うのに精一杯で、母親の気持ちのことまで考える余裕がなかったが、高校生になった悠二は、自分のせいで母がどれほど自己に犠牲を強いていたかがよく理解できるようになっていた。ひっそりと静まり返った家の中で、自分の吐く溜め息の音だけが異様に大きく響いているように感じられた。


*これも金武さんより伺った話をもとにしたフィクションです。

*写真は七年ほど前にヤンゴンの公園で撮った写真です。少年の背には天使の羽が、そして、子供を抱く母親の影が、偶然写っていました。民主化していくミャンマーの象徴のような写真だと当時は思っていましたが、歴史は皮肉なもので、その後、また軍政に戻ってしまいました。

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