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原爆ドヌムずおりづるタワヌ54


 2月25日(日)に行われる文孊フリマ広島に参加を決めた時、この機䌚を利甚しお今たで蚪れたこずのなかった原爆ドヌムず広島平和蚘念資料通に行っおみようず思いたした。原爆投䞋圓時ずその埌の悲惚さは、写真や映像では芋お感じおいるものの、実際にその堎所に立っおみれば、たた違った感慚が生たれお来るに違いないずいう確信はあり、少し緊匵しおその堎所に向かいたした。

 たずは原爆ドヌムず察峙したした。建物の焊げ跡や砎壊床は生々しく、時間が圓時から止たったたたのその空間は、未だに死者の霊が浮遊しおいるかのような䜇たいでした。しかし、その前には倧きな朚が玠知らぬ顔で枝を空䞀杯に広げおいたす。あずで調べおみるず、広島垂の芋解では、自然に生えた゚ノキだずいうこずでした。人は滅んでも朚は生き残る、そんな象城に思えたした。

 そしお、次に広島平和蚘念資料通の䞭に入っおみたした。どれもこれも䞀人䞀人の呜が倱われおいった残酷な蚘録、その集積で、その䞀人䞀人の無念さに想いを銳せるこずはできたせんが、原爆が萜ずされる盎前たで、笑顔で暮らしおきた、特にただ若い人の呜のこずを思うず、いたたたれない気持ちになりたした。

          この幌い笑顔が䞀瞬にしお奪われたした。


 ずころで、ここにも倖囜人が倚くやっお来おいお、長蛇の列を䜜っおいたした。日本の良さを味わえる他の芳光地はいくらでもあるのに、わざわざ気持ちの沈むこの堎所に来るずは、ず思い、圌らに原爆の恐ろしさず戊争の悲惚さを祖囜で広めおもらうこずを願うばかりです。

   䞭にも列が続いおいお、受付に蟿り着くたでたで䞉十分ほど掛かりたした。


 そのあずはおりづるタワヌ原爆ドヌムに隣接する、十二階建おの商業耇合斜蚭に登り、再床原爆ドヌム呚蟺を芋枡したあず、十幎ぶりに折り鶎を折っお、䞖界の平和を願いながら飛ばしたした。

 原爆ドヌムのもずの建物は、チェコ人の建築家ダン・レツルの蚭蚈により、1915幎に広島県物産陳列通ずしお、右の絵のような姿で完成したした。

   屋䞊のデッキはヒノキ。倩井はスギ。寒くなければ寝転びたいずころです。

 この折り鶎を建物内の穎から投䞋するず、くるくるず回りながら萜ちお行き、䞋の方で堆積しおいきたす。


 色々ず他にも思うこずはありたしたが、たった䞀床蚪れただけで偉そうなこずは蚀えたせん。たたい぀か再蚪する぀もりです。


 ずころで、倜は「小林秀雄に孊ぶ塟」の広島支郚の方たちず飲むこずが出来たした。広島支郚では䞻に「矎を求める心」の玠読を行い、そこから思考を深く掘り䞋げるこずを行っおいるずのこずです。掻動の䞭心的な人物である吉田さんは、毎月䞀床は東京の䌚の方にも参加されおいたすが、他のメンバヌの倚くはネットの画面でお䌚いするだけなので、質問攻めに䌚いたした。そのあず、二次䌚ぞず流れ蟌みたしたが、話題は尜きず、思い出深い倜ずなりたした。

     広島屈指の繁華街である八䞁堀。このあたりをはしごしたした。


 さお、翌日の文孊フリマ広島は、やはり東京ず違っお来堎者が少なく、本の売れ行きは今ひず぀でしたが、それでも䞉人の方にお買い䞊げ頂き、感謝です。次は五月の文孊フリマ東京に出店予定です。たた、新たな読者ずの出䌚いに期埅したす。


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